2023年11月最終水曜日、11月29日19時から20時にかけての1時間、ファンダメンタルズ プログラムが主催するグループディスカッション「ルーム」がオンライン非公開で開催された。参加者は科学者2名、アーティスト4名の計6名であった。今回はフェス前ということもあってか参加人数こそ少なかったが、長めのディスカッションを1回という形式で、しっかりと話せたと思う。
参加者は、「ファンダメンタルズ参加者の活動キーワード」の中から気になるトピックを事前に選ぶ。今回は2つのトピック「線」「多元的な感性の共存」が題目となった。グループディスカッションは40分間程度行われ、最後に題目ごとの振り返り報告と、MIROを利用した感想記述、記念撮影を行い終了した。
執筆者である椛田は「線」のディスカッションルームのホスト(司会役)を務めたので、ここではその報告をしたい。「線」には一ノ瀬俊明さん(地理学)、冨田秀一郎さん(生物学)、筆者の椛田ちひろ(絵画)の3名が参加した。
「線」は絵画領域においては、たとえば古代洞窟画の時代から「現実には存在しないはずの輪郭線」によって対象が把握されていることに始まり、絵画と「世界を分けるための(額のような)枠線」も美術史初期・古代エジプト壁画の中で生まれている。このように絵画が「線」から離れ難い仕事であるということがホストのトピック選定理由の一つであったが、「絵画制作的な線(描線)」、筆者自身の制作が筆記具を使用していることに関連して「文字における技術的な線(表記法に則った線)」、また筆者がファンダメンタルズで数学者とペアを組んで活動している経緯から「抽象的で概念的な線(形式科学的な線)」、この3つへの興味から背景の異なる専門家と話をしたいと思ったのが主たる理由だった。もちろん、このルームにおいては、背景の異なる参加者からの自然な話題提供が醍醐味であるので、先の3つに話題を絞る考えは持ってはなく、今回は参加者から提供された話題により、人間が作り出す線のひとつである「境界」の話が中心となった。しかしこの話題は先述した「現実には存在しないはずの輪郭線」「世界を分けるための枠線」という絵画的な線に通じるところがあり、筆者にとって大変興味深いディスカッションになった。
地理学においては、線では語れない分野であることがまず興味深かった。地理学は面や立体で把握するということで、分野によって物事を捉える方法はまるきり異なることを再認識させられる。自身が地図を読む時には線的に捉えていたため、当たり前であるようなのに、改めて地を語る言葉が面であり立体であることに感動を覚えた。
生物学の富田さんからは「本当にそこに線がなくてもあるかのように描く」つまり、目に見える存在する線ではない「遺伝子や蛋白質などによって観察者が決めた境界」を区切って描くという発言があり、これも興味深く感じた。見えないものを描くという部分は絵画に通じるものがあると感じる一方で、生物学におけるその線はある観察者集団が決めた境界としての線である。一ノ瀬さんから、これは地理学においても、アフリカの国境のような人間の都合で引いた線、流域文化形成と相容れない市町村など自治体の定めた境界など、似た部分があると指摘があった。
美術作家としての感想になるが、見えないものを見ようとして線を引く、それは遺伝子を元にした生物学上の境界線であっても、地図上の国境線であっても、キャンバス上の描線であっても、同じ「人間の行為」であるように思われた。背景が異なり、専門も違う者同士が話そうとする時に、根底に共通の要素を見出せるのではないかと感じられることは大変面白いと思う。
時間に限りがあるため、ディスカッションはここまでだったが、引き続き線についての考察は個人的に続けていきたいと思うし、機会があれば引き続きファンダメンタルズ参加者とも対話を続けてみたい。
記:椛田ちひろ(アーティスト、ルームホスト)
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